マイナビおすすめナビで紹介されました - 2024.08.30
長崎・そのときの被爆少女
六五年目の『雅子斃(たお)れず』
1945年8月9日、長崎原爆投下。
●「雅子斃(たお)れず」とは・・・
爆心地にあった三菱長崎兵器製作所で被爆した14歳の少女・石田雅子が、福岡九大病院の病床で書いた体験記を、兄・穰一が幼少の頃からつくっていた「石田新聞」という家族新聞へ連載したもの。なお、この体験記は、被爆体験を最も早くに記録した手記とされている。
後に、父・壽はこの体験記を出版しようするが、そこにGHQ検閲が立ちはだかった。父は合法的範囲内でこの制度と闘い、長崎版、次いで東京版を出版。
本書は、散逸したと思われた草稿や少女の自筆の被爆挿画、未公開被爆写真などの資料も多数掲載し、長崎原爆を14歳の少女の一体験記から問い直す。
●「雅子斃(たお)れず」とは・・・
爆心地にあった三菱長崎兵器製作所で被爆した14歳の少女・石田雅子が、福岡九大病院の病床で書いた体験記を、兄・穰一が幼少の頃からつくっていた「石田新聞」という家族新聞へ連載したもの。なお、この体験記は、被爆体験を最も早くに記録した手記とされている。
後に、父・壽はこの体験記を出版しようするが、そこにGHQ検閲が立ちはだかった。父は合法的範囲内でこの制度と闘い、長崎版、次いで東京版を出版。
本書は、散逸したと思われた草稿や少女の自筆の被爆挿画、未公開被爆写真などの資料も多数掲載し、長崎原爆を14歳の少女の一体験記から問い直す。
第1部 原爆投下、そのときの長崎
・よみがえる『雅子斃れず』
・資料提供について
第2部 六五年目の『雅子斃れず』
・『雅子斃れず』
・本文復元にあたり
・『強き父性愛』
第3部 『雅子斃れず』の周辺
・このごろ
・あの日から1年―に奇異?より
・永井隆博士を訪ねて
・深堀少年と平さん
・天地桃色に閃く
・夏草
・原爆の日に憶う
・平和な朝に想う
・父のことば
・永井博士より著者への手紙
・序にかえて
解説と資料
・よみがえる『雅子斃れず』
・資料提供について
第2部 六五年目の『雅子斃れず』
・『雅子斃れず』
・本文復元にあたり
・『強き父性愛』
第3部 『雅子斃れず』の周辺
・このごろ
・あの日から1年―に奇異?より
・永井隆博士を訪ねて
・深堀少年と平さん
・天地桃色に閃く
・夏草
・原爆の日に憶う
・平和な朝に想う
・父のことば
・永井博士より著者への手紙
・序にかえて
解説と資料