能登半島地震から約一年。能登半島で印刷した被災地の声と景色を伝える一冊。



地震、津波、火災、そして9月の豪雨で「多重被災」している能登半島。震災一年を前に、今なお復興が進んでいないと言われる能登の現実を伝える貴重な本です。能登在住で被災した記者が、震災直後から、毎日朝刊に書き続けて、被災者から大きな反響を呼んでいる小さなコラムと写真を300日分まとめ、一冊にしました。「ここに住んで書いとるのが分かる」。被災者からそんな声が寄せられるリアルな記録です。


 本書は、少しでも地域の復興に寄与するために、能登半島にある石川印刷株式会社で印刷し、全国に配本します。売り上げの一部は、被災地への寄付に充てられます。



●「なんとんない」と堪える人たちがたくさんいる現実を知っていますか

 日本海に突き出た「能登国」。細長く、平地が少ない急峻な半島です。その昔から、多様な魅力を育んできた地形がネックとなり、なかなか復興が進みません。停電、断水、通信障害、2016年の熊本地震や、その5年前の東日本大震災よりも、難航している感が否めません。

それでも、です。能登の人たちはくじけず、励まし、支え合います。「大丈夫。何ともない」を意味する「なんとんない」。この言葉を避難所で何度も、何度も聞きました。我慢ばかりで窮屈なのに、すごく不自由で、この先に不安が募るのに、自分よりも周りを気遣って「なんとんない」。奥ゆかしく、控えめに語るのです。

 

 いつかまた趣味の花を育て、近所の友達と茶をすすり、誰に遠慮することなく風呂に入り、あったかい布団で目を閉じる。そんな当たり前の、落ち着いた日常が戻ると信じ、歩み始めていました。いてつく冬を耐え、春に準備し、夏をしのぎ、また巡る冬に備えていた秋でした。

 

●8カ月後、再びの試練

 「千年に一度」の大地震から8カ月余り、9月下旬のことです。今度は「百年に一度」の記録的な豪雨が能登を襲ったのです。大小の河川が氾濫し、大規模な土砂崩れが相次ぎ、いくつもの集落を孤立させます。地震で助かった能登の命をのみこみます。これまでに、自宅で留守番していた14歳の女子中学生を含む15人の死亡が確認されています。ようやく引っ越したばかりの仮設住宅も濁った水につかりました。長靴より上、ひざのまわりを泥だらけにした被災者が再び避難所へと戻っていきます。再び段ボールのベッドで朝を迎えています。「なんとんない」を口にする力、もう残っていません。

 

●能登半島という船で揺れている

 傷口に塩をもみ込まれた多重被災の地。誤解を恐れず、オブラートに包まず、言います。能登の危機だと感じています。過疎の市町が肩寄せ合う半島は地震と火災と津波にやられ、もがいています。人口流出が急加速しています。「がんばろう 能登!」「ご支援ありがとうございます」-。復興を願い、被災者が思いを込めて手書きした木の看板は豪雨にたたかれ、流され、無情にも泥をかぶっています。

そんな今こそ伝えたくて、1人でも多くの人に目を向けてほしくて、筆を執りました。北陸中日新聞の朝刊「能登版」に、あの日以来、1日も欠かさず掲載を続ける掌編コラムに「半島記者の追想」という新たな書き下ろしも加え、一冊にしました。東京新聞の朝刊「特報面」でも掲載されている小さな囲み記事のシリーズです。担当する能登の4市5町を歩き、目の前に広がった景色、拾い集めた被災者の肉声です。

 

 「何があっても、北陸中日新聞は恐れません。能登半島という大きな船を降りません。大きく揺れても、たとえ沈みそうな危機に瀕しても、握ったオールを放しません。能登のために、本気で泣ける記者が乗っているのです。現場を知れば知るほど、今は『復興』という言葉を気安く使えません。けれど、必ず夜は明ける。そう信じます」-。これは地震から1カ月の節目に合わせた「能登版」の記事です。取材現場を統括する七尾支局長として誓ったメッセージです。この思い、少しも揺らいでいません。

 

●元旦は追悼の日

 でも正直、ここ最近、心の隅っこにもやもやが宿っています。「ほんと言うとね、もう正月こんといてほしい。よくある元日のああいう感じとか思い出したくない。おとろしなる。でもうちの近くでも亡くなった人おるしね。なんもかも忘れたらだめやしね。どうしたらいいんか分からん」。秋空がきれいな日。引き戸がガタガタなままの玄関先です。夫と2人で暮らす70代の知人女性が、道路の向こうのススキを眺めながら、こんな思いを打ち明けました。「そうか、そうですよね」。うまく言葉が見つからず、心落ち着かず、少し間を置いてから、もごもごと返しました。

 

 あらためて、この現実に気づきます。この先ずっと、能登の人たちは、能登にゆかりある人たちは、元日を迎えるたび、黙とうをささげます。子や孫を、親を、かけがえのない友人をしのびます。胸がいっぱいになっておえつが漏れるかもしれません。お祝いの日ではなく、追悼の日なのです。「おめでとう」が言えないのです。

 

 能登で暮らし、誰かと会い、うんうんとうなずき、共感し、怒り、泣き、一緒に数えてきた300日。このコラムは、すぐ目の前の、その瞬間を切り取った記録です。まぶたに焼きついて離れない記憶です。あの日を知る被災者の1人として、休むことなく伝えている被災地のリアルです。 

2024年11月1日 前口憲幸(「はじめに」より)


■ 震災直後から10月末までの能登半島の景色―ダイジェスト版
●1月―震災直後 ●2月―焼けた輪島朝市(左)と輪島駅前(右)
●3月―珠洲市鵜飼漁港 ●4月―七尾市内
●5月―輪島市。左は海底隆起した黒島漁港 ●6月―公費解体が始まった輪島朝市(左)
●7月―200日ぶりに再開したのとじま水族館 ●8月―七尾市の石崎奉燈祭(右)
●9月―豪雨被害に見舞われた奥能登  ●10月―震災から299日目の輪島市の集落(右)と元旦以来の通行止めで300日目をむかえた「ツインブリッジ」



■著者プロフィール

前口憲幸(まえぐち・のりゆき)

中日新聞北陸本社(北陸中日新聞)七尾支局長。金沢大学卒業。入社後、ほぼ石川県内で取材活動をしてきた。本社報道部では警察司法キャップや石川県政キャップ、遊軍キャップ、ニュースデスクなどを担当。多面的な調査報道にも取り組む。2023年3月から現職。翌24年の元日以降、被災した支局で地震取材を指揮する。朝刊に欠かさず執筆する掌編コラムを北陸中日新聞「能登版」、東京新聞「特報面」に掲載している。


関連書籍

SHARE シェアする

このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 2025年度版問題集

  • 新毒物劇物取扱の手引き

  • 教員採用試験対策サイト

  • 日本伝統文化検定