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名門大学合格は人生の目標にならないと気付き、人生を拓いた劣等生
名門大学合格は人生の目標にならないと気付き、人生を拓いた劣等生―
『死にたかった発達障がい児の僕が「自己変革」できた理由』(西川幹之佑)
著者は東大入学が「当たり前」と期待され、世に生まれた。高祖父から4大続けて東大卒。父は英国の名門イートン校を経て東大を卒業し、職業は国内外のビジネス法務を扱う渉外弁護士だ。オールド・イートニアン(イートン校OB)の伝統で、著者は母親のお腹の中にいるときに、男子が生まれる前提でイートン校の受験資格を登録されたという。
ところが、実際に母のお腹から生まれ出た著者はADHD、アスペルガー(ASD)傾向、学習障がいという発達障がいを背負っていた。
幼い頃から多動で、気に入らないことがあると暴れ出すという毎日で、周囲とはまったく協調できない。幼稚園は入園後わずか2時間で「この子は病院に連れていくべきだ」と言われ中退。小学校は特別支援学級に進級するも、赤ちゃん扱いに耐え切れず、教室から脱走を繰り返す。
小学3年生からは、強く希望して通常学級に移るも、今度は漢字の勉強や計算に苦しむことになる。テストで点数がとれないとパニックを起こして大暴れ、親や教師には怒られ、クラスメートからは冷たい目で見られる毎日。この頃すでに「自分には生きている価値がない」と感じるようになり、「死」の衝動にとらわれるようになった。
そんな著者は、大胆な学校改革を行っていた千代田区立麹町中学校の工藤勇一校長(当時)に出会ったことで救われる。
工藤校長は、教え子たちに対し、まず人生で最上位の目標を設定し、そこに向かう手段を選択する「目的思考」を実践するよう導いていた。著者は「夢はかなうとは限らない。どんなに受験勉強をしても志望校に入れない人はいる。でも、大事なのは社会でどう生きるかを見つけること」と説く工藤校長の言葉で、名門家系の呪縛から解放され、自らの生きる目標を模索し始める。
現在、大学1年生となった著者は、本人なりの自己肯定感をもち、落ち着いた毎日を送っている。主治医によると彼ほど苦しんだ発達障がい児が、二次障がい(発達障がいによって引き起こされる鬱などの二次的な症状)に陥らずに成長できたのは「奇跡」とのこと。発達障がいの当事者やその保護者はもちろんのこと、さまざまな「生きづらさ」を抱える人にとっても、自分の困難に向き合う方法を見つける上で、大いに役立つ一冊だ。
■著者プロフィール
2002年、新潟県三条市生まれ、東京育ち。千代田区立麹町中学校、英国・帝京ロンドン学園卒。現在、帝京大学法学部政治学科1年生。高祖父は帝大卒の林業学者で測機舎の創業者である西川末三、高祖母はロシア文学の翻訳と社会運動家として有名な神川松子。4代続けて東大卒の家系に生まれ、周囲から東大入学が当然と期待されるも、発達障がいにより学習面・社会面の壁にぶつかり、生きる意義を見失い小学校3年生で死を考えはじめる。麹町中学校で工藤勇一氏に出会い、人生が一変する。在学中に英検準2級、ニュース検定2級を取得。発達障がい児の役に立ちたいと考え、本書の執筆を企図した。